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2019.06.27コラム知っていますか? むち打ち損傷

「きのう運転中に、後ろの車に追突されました。その時はなんともなかったのですが、今朝から首の後ろに痛みが出たんです。」
整形外科の外来には、追突事故のあとで首から肩にかけて痛みやしびれを訴えて来院される患者さんが毎日のようにおられます。こういった症状を生じる頚部の外傷を、『頚部捻挫(頚椎捻挫)』と呼び、一般的には『むち打ち損傷』という名前で知られています。この名前は、航空母艦のジェット戦闘機の操縦士が、発進の際にはじき出されるように飛び立っていくために頚部に損傷が生じたと初めて報告されたことに由来します。以来、頚部が猛獣使いの「むちひも(whiplash)」のように、前後方向にそり返るため生じた損傷として「むち打ち損傷(whiplash injury)」と呼ばれています。
頚部捻挫は、交通事故だけでなくサッカーやラグビー、アメリカンフットボールなどの激しいコンタクトスポーツ中の事故でも起こり、これらの場合にはケガの程度は追突された方向と速度・力によって異なり、最悪の場合には頚椎骨折・頚髄損傷という事態にも至ります。
頚部捻挫では、手首や足首の捻挫同様、頚椎(7つの椎骨が数珠のように並んでいる)が前後に大きくしなったため、周囲の筋肉やそれぞれの椎骨をつないでいる靭帯や椎骨間の関節(頚椎関節)包に損傷が生じます。初診時にレントゲン検査を実施すると骨自体や椎骨の並びに異常を認めることはほとんどありませんが、事故の前から頚椎に変形やヘルニアなどの異常があった場合には症状が区別できなくなるため、初診時に必ずレントゲン撮影が必要となります。
頚部捻挫が軽度の場合は、損傷は周囲の筋肉だけにとどまり筋挫傷や肉ばなれの状態で、事故後数時間あるいは翌日になって首を動かそうとしてもうまく動かせなかったり、動かすと痛い、押すと痛いなどの症状が見られます。

これより損傷の大きい中等度の場合には、損傷が筋肉だけでなく、強靭な靭帯にも及びます。事故直後から椎骨間の関節の動きに異常が生じてはっきりとした痛みが現れ、次第に強くなりながら後頚部や肩・腕に広がってきます。重度の場合には靭帯が完全に断裂してしまい、頚椎の並びに異常が生じてしまいます。この場合、くびの痛み、肩の痛みとともに後頚部全体の痛みや、めまい、頭痛、吐き気、視力障害などが出現します。腕から手へのしびれや神経障害も出現する場合があります。
では、「むち打ち損傷」になったらどのような治療をすれば良いのでしょうか? 初期の処置を間違うと回復に時間がかかり、後遺症につながることがあるので注意が必要です。まず、事故直後の急性期には安静にすることが第一です。はじめにお話したように、軽度の場合、事故直後は症状なく痛みもないために処置され2~3日後に症状を訴えて来院される方も少なくありません。事故の後どうされていたかと問診すると毎晩入浴してマッサージしていましたと答えられることが多くあります。これは急性炎症に対する処置としては全く逆です。「知っていますか? ぎっくり腰の正体」でお話しましたように「たんこぶ」を温める人やもみほぐしてマッサージする人はいないように、頚部に「たんこぶ」ができていると想像して、まずは患部を冷やし安静にすることが大切です。受傷当日から枕も低いものにして頚部を圧迫せずリラックスさせましょう。安静を保つためには、カラー(頚に巻くスポンジでできた固定用装具)等で頚部を固定するのも良いでしょう。特に受傷直後から痛みのある場合は、頭の重さをカラーで支えられるためには痛みは楽になります。頚部を冷やして炎症をしずめるようにしましょう。痛みの強い場合は、消炎鎮痛剤を初診時から処方してもらい服用する方が炎症はしずまり易いと思われます。
事故発生直後から5~7日間の急性期が過ぎたら、今度は患部を温めて血行を促していきましょう。組織の回復過程で「たんこぶ」が治り易くなります。はじめは、起きている間は首が安定せずにまだ痛むので、カラーは使っても良いのですが少しずつはずしていかないと首の筋力が低下していきます。また、筋肉や靭帯の修復過程で少しずつゆっくりとした頚部のストレッチをしていくことが、頚の動きを回復することにつながります。

「むち打ち損傷」は、数週間~3ケ月間で治ります。しかし、事故直後のレントゲンでも異常が見られず適切な治療を行ったにもかかわらず、いつまでたっても症状が改善せず、徐々に自律神経の働きが悪くなり、めまい、頭痛、耳鳴り、難聴、視力障害や眼精疲労などの症状が後頚部痛や肩痛に加わって訴えられる場合があります。これを「バレリュー症候群」と呼び、傾向だけみると女性の更年期に近い方が発症し易いと考えられます。事故で被害者ということも加わって精神的にも悪影響が出やすくなるため、あせらずに気長に治療に取り組む姿勢が必要となります。
いずれにしても、予期せぬ事故で受傷してしまった「むち打ち損傷」です。後になって首の痛みを訴えられて来院され、事故が原因かどうかを確認するのも難しくなります。また、バレリュー症候群のように長期間に渡って苦しむ場合もあるため、受傷直後から専門医による適切な治療を受けましょう。